「自分のことは、自分がいちばんよく分かっている」
そう思っていても、いざ自分のことを言葉にしようとすると、分からなくなることがあります。
なぜ、あの出来事が今も引っかかっているのか。
なぜ、同じことを何度も考えてしまうのか。
なぜ、嫌ならやめればいいのに、やめられないのか。
考えても考えても、同じところを回ってしまう。
それは、自分のことだからこそ、見えにくくなっているということがあるからかも知れません。
自分の中では、話がつながっている

私たちは、自分のことを何も知らないのではありません。
むしろ、たくさん知っています。
何があったのか。
そのとき何を感じたのか。
なぜそうしたのか。
これまで何を選んできたのか。
ただ、それらはすべて自分の中にあります。
だから、
「こうなったのは、あの人のせい」
「私は昔からこういう性格だから」
「仕方がなかった」
「もう終わったこと」
そんなふうに、自分の中ではすでに説明がついていることもあります。
けれど、その説明とは別のところに、まだ言葉になっていないものが残っていることがあります。
誰かに話そうとすると、急に言葉が止まる
頭の中では分かっていたはずなのに、
「それって、どういうこと?」
と聞かれた瞬間、答えられなくなることがあります。
そこで初めて、「あれ?」となる。
自分では当たり前すぎて、考えたこともなかったところに問いが入るからです。
答えられないことが問題なのではありません。
むしろ、その「答えられないところ」に、それまで見えていなかったものが隠れていることがあります。
答えより、問いで見えることがある
誰かに答えを教えてもらっても、どこかしっくりこない。
そんなことがあります。
自分では何度も考えて、もう十分に分かっているつもりだったことも、外から思いがけない問いを向けられることで、見え方が変わることがあります。
「そこを考えたことはなかった」
「そう聞かれると、答えが出てこない」
そんなところから、それまで自分では気づかなかったものが見えてくることもあります。
大切なのは、自分で正しい問いを見つけることではありません。
自分の中だけでは生まれなかった問いに触れることで、これまでとは違うところから、自分の言葉を見てみる。
答えを増やすのではなく、問いによって見えるものを変えていく。
それが、自分のことをもう一度見つめ直すきっかけになることがあります。
自分のことだから、見えないこともある

自分のことなのに、自分では分からない。
それは、自分を理解する力が足りないからとは限りません。
自分の中では当たり前になっていることほど、自分では気づきにくいものです。
誰かから問いを向けられて初めて、
「なぜ私は、そう思っていたんだろう」
と立ち止まることがあります。
そのとき初めて、自分の中にずっとあったのに、言葉になっていなかったものが輪郭を持ちはじめることがあります。
私は「ことばほどき」という文章鑑定を行っています。


