第3章:【お互い様】がくれた新しい居場所~安心は言葉ひとつから始まった

新しい居場所 AC わたしのこと

治療中の就職活動の厳しさ

乳がんの手術を受け、治療は放射線やホルモン療法へと続きました。
治療よりも心を重くしたのは、
「働く場所がない」という恐怖でした。

治療中の就職活動は厳しく、面接や内定の段階で「治療中」と伝えると、
不採用や内定取り消しが相次ぎました。
それでも働かなければ生活は成り立たず、希望条件を大きく下げて探し続けました。

ようやく契約社員として働けることになり、安心しかけた矢先――

健康診断書の既往歴に「がん」と記載があり、
それで現在の業務は大丈夫か?と上層部の人が心配して面談がありました。

それをきっかけに、直属の上司たちが動き出します。
「病気の人間は働かせられない」「残業もできないだろう」と、
私の意志や能力を無視した決めつけで責められ、
退職勧告とも取れる言葉の数々を浴びせられました。

上層部が直接に面談をするのは初めてだったらしく、
それを聞いた上司たちは

「上層部は、あいつの病気のことで辞めさせようとしているのかも知れない。」
「なら、このまま続けさせたら自分たちの身が危ない」

そんなふうに考え、私を排除しようとしたらしいです。

労働基準監督署にも相談しましたが、退職勧告とは言えないけれど、
パワハラで訴えるのなら仲介するとのこと。
そんなことをしたところで、仕事は続けられないだろうし、生きていけなくなります。

「生きていれば、それぞれ何かありますよ」という言葉に救われて

このまま笑えない日々で我慢するのか、きっぱり離れるのか?
悩んでいたある日、別の会社に応募したところ、
とんとんと面接ー採用が決まりました。

面接で「月1回の通院は問題ないですよ」と言われたことで、私は退職することを決めました。

その会社は期間限定のプロジェクト業務で契約社員としての内定だったので、
現在の「正社員」という立場を手放すのを躊躇しました。

が、便利に扱われるだけの場所ではなく、安心して働ける場所を選びました。

新しい職場は年齢層も高く、
「生きていれば、それぞれ何かありますよ」
「お互いに補い合っていきましょう」
と言ってくれる環境。

それまでの「病気=切り捨てられる」の職場とは正反対の言葉は、私の心に深く沁みました。

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